ティブア島1日クルーズ
(後半)

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グラスボトムボートで島に戻り、今度は昼食です。上陸した時にカバの儀式を行いましたが、その場所は島に唯一の建物で、昼食もこの場所で行います。
食べ放題形式で、たくさんの食べ物が並んでいて、好きなように取って来て食べます。

鉄板でステーキ(牛・豚・鶏)に大きな鯛のような魚が焼かれ、パンに果物、デザートまであります。この国の人たちは、こんなごちそうは食べていないのに・・・。無人島で余るほどの食事を見て、ちょっと暗い気分になりました。

ちなみにこの島は普段無人島で、私たちのような客が来る時だけ、働いている人も来てお世話をしてくれるようです。

一緒にこの島に来たお客さん達は、たくさん食べ物を取って、バクバク食べています。サラダから肉から魚からフルーツまでてんこ盛りにしてです。
自分の事を大食いだと思っていた私ですが、彼らの食欲を見た瞬間に敗北の予感を察知しました。

「こいつらの食欲にはかなわない」

船でもずーっと食べ続け昼食も驚くほど食べる姿は、「ごはんと味噌汁」の日本人は無理!

一応私も食べ物を取りに行きましたが、勝負の前に敗北を予感していたせいか、食べ物をたくさん取ってくることができず、案の定、それほど食べることが出来ませんでした。

島に上陸する前に、船内で船長が私達にそれぞれ4枚の券を渡していました。
それはドリンクの券で、その券1枚とドリンク1つが引き換えられます。
券でもらえるドリンクは缶ジュースやビールなどですが、島に滞在している間だけ使えるので、とてもそれぞれ4枚を使い切り、飲むことは出来ないと判断し、妻と合わせて4枚分をビールに交換し、お土産として持ち帰ることにしました。

券を係りの人に差し出し、ビールを4つ下さいと頼むと、係りの人は冷えたビールを持ってきてくれたのですが、いきなりビールの栓を開けてしまいました。
「あぁっ!」
ここで栓を開けられたら持って帰れません。
なんとか、被害は1つだけで済みました。
開いてしまったビールは飲むしかありません。
酒の飲めない私も一口だけ飲んでみましたが、ビールの味でした。

フィジーのビール「ビタービール」はビターだけあって苦い・・・。昼間からアルコールをとる習慣がないので、苦いビールは全部飲むことができず、ほとんど残してしまいました。ごめんなさい・・・・。

昼食後、私達はボートでラインフィッシングに行くことになっていました。
何人かの外人客はビーチバレーをして遊んでいました。

フィジーの人たちはバレー好きです。トレジャーでも毎日夕方5時から従業員のバレー大会があったり、今回も客より船の乗組員の人たちのほうが盛り上がっていました。

船長が「フィッシングに行く人はこっちに来い」という様なことを言ったので私たちが向かうと
「ここで待っていろ」とか、
「あっちに行ってろ」とか、
一体どうすれば良いのかさっぱりわかりません。
しまいには「ボートで釣りに行ったらもう島には戻らない」
というような事まで言い出しています。

じゃぁ荷物は?結局どこにいればいいの??

私達がオロオロしていると、その横でしんのすけ君のお母さんも
「え?戻らないの??」なんてことを言っています。

けど、しんのすけ君のお母さんと私達の違いは英語でした。

私達は船長に
「どこにいればいいの?もう戻らないの?荷物は?」
など、聞きたい事がたくさんありましたが、英語で何て言えばいいか分かりませんでした。
それら全てをしんのすけ君のお母さんが聞いてくれました。

結局、また戻ってくるという事も判明し、ホット一安心。
島には私達と一緒に来た客、面倒を見てくれる従業員しかいないので、荷物を置きっぱなしで行っても大丈夫と思い、カメラだけ持ってボートに乗り込みました。

トレジャーでは釣れたけどカメラを忘れてせっかくの獲物を撮影できませんでした。
今度はカメラを持ってきたので、釣れたら記念撮影を絶対しようと決めていました。

しかし、沖に出た船は波にあおられグラングランに揺れます。
糸も波に流され変な方向に行ってしまいます。
全然釣れません。
やはり日本でもフィジーでも釣れるのは朝が一番なんでしょうか?

なんだか全然釣れるような気がしません。
風も強いし波も高いし、すぐに飽きてしまいました。

何か面白いことないかなぁ〜と、辺りを見回すと、見つけちゃいました!面白い事。

それはしんのすけ君のお母さんです。

もう、SENNSEは大喜び!「見て見て!」 お母さんが不審に思うのではないかと思うほど、SENNSEはお母さんを見て大笑い。退屈な釣りなどそっちのけで、喜びすぎ。

しんのすけ君に負けないくらい顔に日焼止めを塗りまくり真っ白です。
もうその瞬間から私は釣りどころではなく、しんのすけ君のお母さんに釘付けになってしまいました。

おかしくておかしくて、笑っちゃいけないと思いながらもふきだしてしまいます。
見ちゃいけないと思うほど目が行ってしまいます。

フェリー乗り場で歌舞伎役者のように真っ白に塗られていたしんのすけ君。何か変だと思っていたのですが、まさかお母さん本人まで真っ白。本当に真っ白。塗りすぎ。
彼女は東京在住らしいのですが、奥尻島出身と言っていました。ここで奥尻の人に出会うとは驚きです。

私の席の隣には可愛らしい白人の女の子が、私と同じようにつまらなそうに釣りをしていたので、面白いおばちゃんがいると教えてあげようかと思いました。

「ルック ザット! シーイズ ベリー ファン、 シーズ ネーム イズ ホワイト フェイス マザー!」
(あれを見てごらん。とても面白いよ。 彼女の名前は白顔母さん)

言おうかどうしようか迷いましたが、女の子がとても美人で可愛らしく、声をかけるのが恥ずかしくてやめました。

女の子はおじいちゃんと来ていたようです。
大体15歳位でしょうか?帆船で来る時も、釣りのときも、帰るときもずっと胸をバスタオルで隠していました。ちょうど思春期位の女の子だと思います。
前ページで、船着場の港で赤ちゃんの写真と一緒に写っている子です。
可愛くて美人の女の子

それ以来しんのすけ君のお母さんは「ホワイトフェイスマザー」と私達の間で呼ぶことになりました。

デジカメをホワイトフェイスマザーにそーっと近づけ、まるで盗撮のような気持ちでシャッターを押しました。

撮った写真を液晶画面で確認するとまた笑えてきます。

釣りは面白くなかったけど、この時の思い出はホワイトフェイスマザーしかありません。

(さすがに写真公開できません。裏ページを作り公開しますので探してください。どうしても見つけられず、どうしても見たい人はメールで)

釣りには15人か20人位いましたが、結局誰も釣ることはできませんでした。

釣りから戻り、少ししたらもう帰る時間になってしまいました。
明るいうちに港に戻る予定です。

帰りもお菓子やコーヒーが飲み放題。ホワイトフェイスマザーも食べる食べる。結局船の中では何も食べずに終わってしまいました。


帰りの船の中でも船長はギターで歌い、港に着く少し前には乗客みんなで輪を作り、手をつなぎあって何やらよく分からない歌をみんなで歌わされました。

そして最後はやはりお別れの曲「イサレイの歌」で締めくくり。

この船長ですが、一日同行してくれましたが、とにかく仕切るのが好きで、私達は仕切られまくりで動かされ、けっこうそれだけで疲れました。

でも、毎日これほどのサービスを仕事にしているのだから、仕切るのも仕方がないのかな。毎日、説明して歌って案内して泳いで・・・・。大変な仕事です。

船がビチレブ本当のマリーナに付く少し前には、マングローブの森みたいのも見ることができました。
風が強かったけど天候にも恵まれたティブア島1日クルーズでしたが、この頃には雨が降り出していました。
マリーナ到着少し前。マングローブの森みたいな感じ。 マリーナに到着。これで今回の旅行のレジャーは全て終了。雨もポツポツ降り出してきた。

マリーナからバスでシェラトンホテルまで向かいました。
今回一緒に参加した全ての人がバスに乗り(ぎゅうぎゅう詰め)それぞれの滞在ホテルまで送ってくれます。
私達は一番最初に降りることとなりましたが、降りたのは私達だけ。

バスの中で一昔前流行った曲(スティングだったと思う)が流れたとたん、周りの人たちは歌ったりリズムに合わせて体を揺らしたり・・・。ちょっと楽しい気分になりました。

バスから降りて、バスを見送ろうとすると、バスに乗っているお客さんたちは私達を見ていました。
自然に手を振ってみたら、バスの人たちみんなも私達に手を振ってくれました。

今回、船に乗り合わせた他の人たちとはほとんど交流を持ちませんでしたし、彼等と再会することはまず一生無いと思います。
遠い場所でそれぞれ生まれ育ち、たまたま偶然このクルーズで一緒になっただけの関係ではありますが、こうやって手を振り合ってみると何か特別な感情が沸いてきます。

二度と会わないこの人達に「またねー」という気持ちで手を振っているわけではありません。
バスの中の人たちも私達に「またねー」って手を振っているわけではありません。

再開しないのだから、相手に気に入られようという気持ちで手を振り合っている訳でもありません。

たかが手を振り合うという行為だけですが、

「もう二度会うことはないけれど、これからのお互いの人生が幸せなものになるように」

という感じかどうかわかりませんが、損得勘定無しに、心の底からのエールと言うか、そういうものを感じましたし、私もバスの中の彼らに今日1日の感謝の気持ちや、そういう気持ちで手を振っていたのかもしれません。

「GOOD LUCK!」

バスを見送り部屋に戻りました。
7時半までには昨日予約した日本料理店に行くことになっています。

時間に余裕を持って、部屋を出て、ホテルの脇の浜辺を散歩しながら日本料理「浜町」に向かいました。

ちょうど夕暮れの頃で、浜辺の景色はきれいでしたが、足元には何十匹のカエルがいました。

ここでも「ケロちゃん発見!」と追いかけています。どこからともなく現れて、海の方へ行きます。泳ぐの??
ホテル付近の浜辺。雲に覆われていたけど綺麗だった。フィジー最後の夕暮れ。 浜辺付近にいたカエル。なんか日本のより背筋が伸びて堂々としている印象。浜辺で生活しているようだが、オタマジャクシはどこで育ったのか気になる。まさか海じゃないよね?

日本料理「浜町」はホテルの敷地内にあり、それほどの距離ではなく、簡単に徒歩で行けました。
中に入ると日本人ではない店員の女性が出迎えてくれ、予約した旨を伝えると席に案内してくれました。

店構えも入り口のメニューも日本語でほっとしたとたん、受付も着物を着た仲居さんもすべてフィジーの人。あらら?日本語通じないよ。

席は鉄板焼きの鉄板を囲むように席があります。
私たちが案内された時には全部日本人の客が座っていました。
テーブルの奥側には日本人のオッサン二人。
私達のすぐ近くの所には夫婦と小さな女の子。この女の子ですが、とても可愛くない。なかなかこんな可愛くない女の子いないぞというくらい可愛くなくて生意気なこと言ってました。(小学校1年生と言っていた会話を妻が聞いていたので6歳くらい)

ここは日本人コーナーになっています。でも交流は全く無く、ちょっと気まずい・・・。横の家族がウーロン茶を飲んでいるのを発見!今まで、コーラなど甘い物か水だったので、あっさりとしたお茶を体が求めていました。

メニューを見て、オーダーしましたが、メニューは日本語で書かれています。でも注文は日本人ではない店の女性に英語で伝えるのです。

しかも、実際に目の前で鉄板焼きを作ってくれるのですが、それもフィジーの女性がコックさんみたいな衣装で焼いてくれます。

要するに、出てくる料理は日本料理ですが、スタッフは全て現地の人というちょっと変な感じの店でした。

しかし、私達も変です。フィジー最後の夜に日本料理。明日になれば日本に戻るのに、なんでわざわざ日本料理?普通なら今日でフィジーも最後だから思い出に思いっきりフィジーの料理を食べれば良いのに。
でもやはりもうフィジーの料理には飽きていました。

それともうひとつ変なのが、フィジー料理に飽きたから懐かしい日本料理(とはいってもたかが1週間の滞在)という事なのに懐かしくもなんともない鉄板焼き。
ってか、これまでの人生の中で鉄板焼きなんて食べたことない・・・。

まぁ、でも美味しければそれでいいか。

最初に出てきたのはお通し。

おぉ〜和食っぽーい!
お通し。美味しそうでしょ!?

私はイクラとか食べられないので、食べれるものを妻と交換し合いながら食べました。味は美味しいんだけど、ちょっとどこか違うかな?って感じでした。
何が違うのか?醤油が違うのか?よく分かりませんでしたがとにかく少しだけ違いました。

厚焼き玉子は冷凍食品のようで、スポンジになっていました。でも「だし」味に感激。そう!いままでの食べ物には「うま味」が無くて物足りなかったのです。何か違うけど「うまーい!」

次に出てきたのはテンプーラ!
テンプーラ!美味しそうですか??

天ぷらの味は???
うん美味しい!
でもお腹がすいている割には量が少なかったかな?

ここでSENNSE待望のごはん登場!一口食べて「ちがーう!日本のごはんじゃなーい!フィジーごはんだぁ・・・」

そしていよいよメインディッシュの鉄板焼き!

熱く熱した鉄板に牛肉を落とします。
ジューッ!!という音と共に肉が焼けます。

事前に妻が本で、「浜町」の鉄板焼きが美味しいとリサーチしていましたが、これまでフィジーで食べた肉は美味しいものはほとんどなく不安でした。
期待して出来上がったステーキが硬くて味が無かったらどうしよう・・。

醤油!醤油!味ポンで食べたい。
私達のために用意された牛肉。見た目は美味しそうだが果たして・・ 焼いてる肉に酒みたいのをかけると火が上がった。なんとういうゴージャスな演出!

そしていよいよ肉が焼きあがりました。本当においしそうです。
付け合せの野菜なども焼かれ、肉は食べやすいように切られ、皿に盛られて私達の前に差し出されました。
出来上がった鉄板焼きステーキ。
もちろん箸でいただく。


ひとくち食べてみました。

「うまい!!」

これまでフィジーで食べてきた肉とは違いとても柔らかい!そして味付けも醤油ベースで日本風。生まれて初めてフィジーで食べた日本料理の鉄板焼き。妻のリサーチ通りすごく満足でした。
約200gという量のため「しほわんは食べきれずに残すべな」と、思っていたのですが、
案の定妻はステーキを食べきれず残しました。

その後私が注文したガーリックライスも出来上がりました。醤油を焦がしたいいにおいがします。「いただきまーす!・・・あれ?舌がびりびりする」すごく塩からい。せっかくの醤油ごはんが・・・・(涙)。これも全部食べることができなくてSENNSEのお腹の中へ・・・。味ポン持ってくればよかった・・・・。

ウッヒョー作戦どーり!

自分のステーキ+妻のステーキ半分くらいを食べ、とても満足しました。

私達が食事を終える頃、同じテーブルにいた日本人はすでに帰っていました。

私達も帰ろうかと思う少し前、帰った日本人の席に白人のファミリーがやってきました。
お父さん、お母さん、子供達、が二組の団体です。

うわっ!英語圏に入ってしまった。話しかけられそう。

私は飲んでいたジンジャーエールで腹が膨れ、思いっきりゲップをしながら、
「あっ!ゲップは外国では屁をこくよりも悪いことなんだ!」と思いましたが、
出てるゲップをとめることは出来ず、向かい側に座っていたファミリーの娘さん達に冷たい目で見られているような気持ちになりました。

でも、私達の一番近くに座っていたお父さんが何故かニコニコしながら私達を見ていました。
私達と目が合うと「ハーイ!」と声をかけてきました。
最初は妻が飲んでいたウーロン茶の事が気になるらしく、これは何だと尋ねてきました。
妻は「チャイニーズ ティー」などと言っていましたが、
ウーロン茶の缶にでっかく「烏龍茶」と書かれていたので、私は漢字を指差し「ブラックバード ドラゴン ティー」と言ってみました。
カラスが英語で何て言うか分かりませんでした。

漢字を使わない外人は漢字一文字に意味があることがよく分からないのでしょうか?例えは茶という字がティーを意味することとか。
せっかく教えてみたのに不思議そうな顔をしていました。

不思議というより「興味なし」って感じ。でも私達には興味深々。これはやっかいなことになった。

妻がチャイニーズ ティー と言ったことから、彼は私達を中国人だと思ったようで、「チャイニーズ?」と聞いてきました。「ノー ジャパニーズ」と答えました。

すると外人の父さんはまた何か聞いてきました。
私は「いつ日本に戻るの?」と聞かれたと思い、「トゥモロー」と答えました。
すると、外人父さんと私達の会話を興味深く聞いていたファミリーが「?????」って顔をしました。

あれれ?「明日」って??ちがーう!!でもSENNSEは自信満々で答えています。

妻が慌てて私に言います。
「日本のどこから来たか聞いてるんだよ」って。

あら〜、何か間違って聞いちゃったのね。
でも何て答えたらいいんだろう?
日本のどこからかって言われても、帯広って答えたって分からないでしょきっと。
北海道だって小さな島だし・・・。
でも他の言葉が思い浮かばなかったので「ホッカイドー」って言いました。
外人父さんは何だか理解したようでした。

何でホッカイドーって言って理解できるの?
私は「ドゥーユーノー ホッカイドー」って聞いてみました。

外人ファミリーは「知ってるよ!」って感じで、
外人母さんはスキーのジェスチャーをしました。

へぇ〜本当に知ってたんだ。北海道って案外有名なんですね。
そういえばここ数年、オーストラリアはニセコツアー(スキー)が流行らしいし、
きっとこのファミリーもオーストラリア人なんだろうなと思い、聞こうかと思いましたが、何ていったらいいかわかりませんでした。

また外人父さんは私に何か聞いてきましたが、私も妻も何を聞いてきたのか分からずに、仕方なく分からないジェスチャー(がっかりしたような表情で両手を手のひらを上側にしてちょっと上げるやつ)
をしました。
外人ファミリーも苦笑いでした。

私達の英語力は「質問」はできるのですが、「答え」がわからないのです。もちろん質問されるともっとわからない・・・。

もっと会話してみたかったのですが、聞きたいことを英語で何ていえばいいかわからないし、また意味不明な質問をされても困るし、出された食事は全て食べちゃったし、間が持たず私達は帰ることにしました。

席を立ち去ろうとすると外人ファミリーがみんな笑顔で何か言葉をかけてくれました。
私はグッバイは言えましたが、それはさようならの意味。
「おやすみなさい」とか、そういうことを言いたかったのですが、とっさに言葉が思い浮かびません。
一瞬で考えた末出てきた言葉が、

「グット イブニーング」

えっ?!・・・???
みんなが笑顔で「おやすみー」「良い夜を過ごしてね〜」と言ってくれているのにSENNSEの挨拶は、「おばんです!」
またまた、やってしまいました。


妻は後ろで爆笑していました。

たっぷり食べて値段はトレジャーでのディナーよりちょっと高いくらい。美味しさからすればそれぼど割高には感じられず、もしこの文を読んだ人でビチレブのシェラトンに行く事がある人には是非お勧めします。


ホテルに戻ってからは、もっと外人ファミリーと話したかったという思いがどんどん沸いてきました。

寝るまでの間、日本から持ってきた英会話の本(函館の実家にあり私の母のものを借りてきた)をずっと読みました。
フィジーに来て以来、一度も目を通さなかった英会話の本を帰国前日に読んでいるなんて、なんて効率が悪いんでしょう。もっと早く読んで勉強しておけば外人ファミリーだけでなくいろんな人と交流が持てたかもしれません。今回の旅の大きな反省点のひとつです。

その後「英会話学校に通いたい!」とか「日本に帰ってからも、外国人と話をしたい」とか言っています。帰国前日に一生懸命勉強してもねぇ・・・。

そして私は本を読みながら、外人ファミリーとのはちゃめちゃ実践英会話を思い出しては爆笑しながら眠りにつき、フィジー最後の夜は更けていきました。

しばらくは「グット イブニング」が流行語になっていました。

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