トレジャーアイランドとの別れ
(トレジャーアイランド5日目 1/6)
いよいよトレジャーアイランドを出発する朝を迎えました。今日は朝のうちにこの島を発ち、フィジーの首都があるビチレブ島に船で移ります。 目が覚めると「あぁ〜もうすぐ出発だな」とすぐに寂しい気持ちになりましたが、外を見ると雨もすっかり上がり、今日はいい天気になりそうです。もう一度海で泳ぎたかったけどそんな時間は残されていません。 妻が荷物を整理し、コテージ(今思い出しましたが、これらのコテージをブレと呼んでいました)を後にしました。 最後にバシ子に会いたかったのですが、バシ子の姿は見られませんでした。 でもバシ子に会ったら悲しさが強くなりそうだったので、あえてバシ子を探したりはしませんでした。 朝食後、チェックアウトです。島の案内所みたいな建物(レセプション)で、この島での滞在で購入したものや食事・飲み物全てのお金のかかったものを支払います。総額は1000ドル(7万円)位でしたが、明細に誤りがあり妻が文句を言ったためその分が差し引かれ900ドル位でした。 文句ではなく、間違っていたのでその分を差し引いてもらっただけです。でも、ユミコさんもまだ来ていないし、SENNSEは「自分なら言えない・・・」と言うので、多く請求されている99F$(約7000円)のために、出来る限りの会話をしました。すぐに分かってくれて、安心。よくがんばりました、と自分を褒めました。 チェックアウトを終え、船着場に向かいました。約30分位すると私たちを迎えに船がやってきます。ベンチに腰を下ろし、しみじみとこの島での経験を思い出していました。 最初は海外に来るのも怖かった位なのに、この島で働く全ての人は私を笑顔で迎えてくれました。それは仕事の作り笑顔ではなく、心から歓迎してくれていると実感できる笑顔で、日本語以外話せない私が英語で色々話してみたり、フィジーの言葉も使って挨拶(ブラ!)したり御礼を言ったり(ビナカ)、自分から「ご機嫌いかがですか?」(ブラビナカチコ)と言ってみたり、考えられない事でした。 この島の優しさに触れ、ここから帰るのが嫌になっていました。できればもっと滞在していたいと思っていました。 この時のSENNSEの言葉。「帰りたくなーい!でもここのご飯はもういい・・・。」 ベンチで海を見ると、何故かとても静かで穏やかな感じがしました。これから島を出て行く私の感情がそう思わせたのかもしれませんが、船を待つこの30分がとても思い出深く心に残っています。 |
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しばらくすると私たちが座っているベンチに一人のフィジー人の男性がやってきました。私たちは「ブラ」と挨拶をしました。彼はこの島で民芸品を作っているようなことを言っていました。 私たちは彼が来るまで、日本から持ってきたフィジーの旅行ブックみたいのを見ながら、ここから見える数々の島が何という島なのか調べていました。本の地図を見ながら、「向こうに見えるのがマナ島かな?」なんて感じでしたが、私たちは彼に、この浜辺から見える数々の島が何という島なのか尋ねました。 彼は島のほうを指差しながら色々教えてくれました。また、私たちの本をめくりながら、自分が行った事のある島を指差し「グッド」とかなんとか言いながら、色々な島のことを教えてくれました。 実際、今思い出してみると、彼が教えてくれた島の名前や、グッドな島のことは何も覚えていません。 しかし、彼はこれまで会ったフィジー人のような陽気でニコニコしている感じではなく、哀愁が漂っている少し静かな感じの人だったということがとても印象的に思い出されます。 私が島を離れる寂しい気持ちと彼の哀愁がピタリと重なっていて、寂しい気持ちが2倍くらいになりました。 船がやってくる少し前には色々な意味でお世話になったカタタマさんもやってきました。 カタタマさんはまだ滞在するそうですが、年末からずっとトレジャーアイランドに滞在していると言っていました。 しかも、日本からの便が取れなかったということで、韓国から大韓航空でやってきたということでした。 私たちがこれからビチレブ島に移ると言うと、「お元気で」と声をかけ、記念撮影をしてくれてどこかに行ってしまいました。 いよいよ私たちが乗っていく船が迎えに来ました。 |
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これまで幾度となくお世話になったグラスボトムボートが船着場にやってきました。 私たちを乗せ、沖で待つ船まで運んで行ってくれるのです。 フィジーの本を見ながら色々話してくれた男性が、「さぁ、お別れだ。グットラック」というような言葉を静かに私たちにかけてくれました。 そして、フィジーでこれまで何度か耳にしたお別れの歌(イサレイの歌)を従業員の方たちが歌いながら私たちを見送ってくれました。 フィジーに来て以来、色んなところでギターを持った人たちの歌を聴きました。大体は南国風の楽しい感じの歌ですが、イサレイの歌は少し悲しげな歌で、今の私の心境には悲しすぎました。 ここでお世話になった全ての事に感謝し、グラスボトムボートに乗り込みました。 今日、この島を出て行くのは私たちだけでした。他に白人の女性が一人、グラスボトムボートに乗り込みましたが、この人は帰るのではなく、島巡り1日ツアーに行くと思われ、荷物もそれほど持っていませんでした。 グラスボトムボートが船着場を出ると、イサレイの歌もだんだん小さくなり、遂には聞こえなくなりました。そして、島も小さくなってきました。 悲しい気持ちを引きずったままグラスボトムボートは私たちを迎えに来た船のところに到着しました。荷物を移してもらい、ボートをを操縦してきてくれた人と握手をして私たちは船に乗り移りました。 乗り移った船には、これまで色々とお世話になったユミコさんが乗っていました。本島(ビチレブ)から出勤してきたと言うことで、私たちが今乗ってきたグラスボトムボートに乗って、トレジャーアイランドに向かうようでした。 これまでのお礼を言い、お別れしました。 ユミコさんの出勤は私たちの帰る便だったのね・・・・。どうりでチェックアウトの時にいないと思った・・・。 ここから船はまっすぐ私たちの目的地であるビチレブに向かうのではなく、いくつもの島を巡りながら最終的にビチレブ島に向かうということで、しばらくの時間、船の旅になりました。 天候も回復してきたので、日差しが強く、とりあえず船内のクーラーの効いたところに座りました。船はどんどん進みます。いろんな島が見えます。 どの島も小さく、人が住んでいるのか、リゾートになっているのかよく分かりませんでしたが、とにかく海は青く綺麗です。 妻は私に色々話しかけていましたが、私は寂しくてあまりちゃんと答えていませんでした。妻にしたら私が機嫌悪いように思われたかもしれません。 そうこうしているうちに船はマナ島という所に到着しました。マナ島は日本人にもとても人気のあるリゾートで、トレジャーアイランドよりは大きいですが、それでもまずまず小さな島です。 ここで船から降りる人、船に乗り込む人などのため少しの間船は止まりました。 マナの海にはあまり泳いでいる人や、マリンスポーツをしている人がいませんでした。でも、海もきれいでステキなところです。でも日本人ばかり? |
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マナ島でしばらく停泊した後、船はまた進みました。 日差しが強くなってきたのですが、私はクーラーの効いた部屋を出て、部屋の外から景色を眺めることにしました。そこにはちゃんと席があって、席に座りながら生ぬるい風を受けました。 他にもたくさんの外人がいて、それぞれ楽しそうにしていましたが、妻は日焼けが怖いらしく、部屋から出ませんでした。 半そでのTシャツだったので、露出している部分に何度も日焼け止めのクリームを塗りながら日差しを受けていましたが、それでもジリジリとしたものを感じました。 私の席の前にはフィジー人の親子が座っていました。5歳ぐらいの男の子のまつげが長くて可愛い!横に座っている白人の女の子はニンテンド−DSで遊んでいて、日本でも発売されたばかりなのにもう世界中で売っていることに驚きました。乗客ウオッチングも楽しいです。 次に到着した島は、キャスタウェイという島です。トムクルーズの主演映画の舞台になっという島らしいですが、これも小さな島でした。でも、船から見える施設がゴージャスで、きっと滞在するとすごい高いのではないかと思いました。 ボートなんかもトレジャーのグラスボトムボートよりもカッコよくて、水上飛行機も2機ありました。 海もやはり綺麗で浅く、接岸は出来ませんでした。 ブルックシールズの「青い珊瑚礁」のロケ地という話も聞きました。高級リゾートだとトレジャーの船着場で話をしたオジサンが言っていました。 |
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キャスタウェイを出発し、しばらく行くと、目的地のビチレブ島に到着しました。 まだお昼前でしたが、すこしお腹もすいてきました。 今日はシェラトンホテルに滞在すると言うことは聞いていましたが、この先の日程が私にはほとんど分かりませんでした。 そして船はついにビチレブ島のマリーナ(トレジャーに出発した時と同じ港)に到着しました。 |
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